ミミズクとオリーブ/芦原すなお

ミミズクとオリーブ (創元推理文庫)

ミミズクとオリーブ (創元推理文庫)

 
 八王子に住む作家の「ぼく」、そしてその「妻」は慎ましく暮らしている。そこに友人の警察官・河田はたびたび遊びに来る。彼は警察でも手を持て余す難事件を話の種に聞かせてくれるが、それを聞いた「妻」はすぐに真相を言い当ててしまう。いわゆる安楽椅子探偵ものの連作短篇集である。
 
 なんとも不思議な読後感を伴った素晴らしい小説だと思った。味わい深く流れるような会話文や美味しそうな郷土料理の描写の数々といった、小説家としての確かな力量を存分に堪能できる。この作家、初読だが滅法小説が上手いのである。
 
 加えて、どことなく懐かしい感覚が全編に通底する。はて、この感覚は一体何だっただろう。と思案してようやくそれらしきものの正体に思い当たった。どうもこの小説、子供の時分に親しんだ「日本昔話」を読んだときの印象に通ずるものがあるのではないかと。
 
 もちろん、根拠はある。「ぼく」と「妻」という記述が持つ固有性の排除は昔話の「お爺さん」と「お婆さん」を思い起こさせるし、何よりこの「ぼく」と「妻」の結婚は異類婚姻譚(鶴の恩返しとか)と近似している箇所が多々あるんじゃないだろうか。
 
 例えば、集中の一篇「梅見月」。これは「ぼく」と「妻」の若かりし頃の出会いを描いた一篇だ。「妻」の父親は雷帝と恐れられる謹厳な教師。職にもつかない怠惰な学生である「ぼく」は一目ぼれした若き日の「妻」となんとか結ばれたいがこの親父さんに許可を貰うのはなかなか難しい。困り果てた「ぼく」に「妻」はたびたび有益なアドバイスを与え、ついには結婚を認めさせてしまう。
 
 このエピソードでわかるのは「妻」が万事に非凡な能力をもつ才女だということ、「ぼく」は常にその能力に助けられっぱなしだということだが、それ以上に二人の恋愛の描写は面白い。語り手でもある「僕」の悶々とした恋わずらいは延々と語られるが、一方の「妻」が「僕」をどう思っているのか、これはどうやら憎からず思ってくれているらしいというヴェールに覆われた程度にしか語られないのである。結婚の後も「ぼく」は「妻」を「ちょっと変わっている」と述懐するように、「ぼく」は「妻」の大いなる知性には到底考えが及びそうもない。この神格めいた「妻」の雰囲気は表題作「ミミズクとオリーブ」では知の女神アテナに例えられる。
 
 普通の男なら、この底の知れない「妻」と愛を交わすなど到底できないかもしれない。まるで何を考えているのかわからないのだから。しかし、この得体の知れない「妻」に負けず劣らず「ぼく」もキャラクターが立っていたりする。事件そっちのけでプリクラを撮ったり*1、警察の経費で旅行しようとしたりと大変すっとぼけた男だ。だいぶ俗世と無縁な変わり者なのである
 
 この「ぼく」にしてこの「妻」あり。かくして人と神は幸福な結婚生活を迎える。これがどうやらこの小説が持つどこか桃源郷的な心地よさの一因なのではないだろうかと思う。
 
 というわけで非常に楽しみました。日常生活描写と会話文のセンスだけで物語を読ませなければならない安楽椅子探偵ものにあって、リーダビリティーでは頂点を極めている作品。ただし唯一の瑕疵として、謎解きはさほど目新しいものがなくやや物足りない。よっぽどのトリック偏重主義者でもないかぎり万人に楽しめる傑作だと思う。
 

*1:『嫁洗い池』のエピソードだったと思う