キングとジョーカー/ピーター・ディキンスン

キングとジョーカー (扶桑社ミステリー)

キングとジョーカー (扶桑社ミステリー)

 
 めでたく復刊。
 
 本書は闘いの物語だと思った。と書くと本格ミステリお決まりの「探偵VS犯人」という図式を喚起させてしまいそうだが(もちろん、それもあるのだが)、実はその図式を超えた次元でもう一つの闘いが行われている。それは本格ミステリが生まれた瞬間から現在に至るまで延々と続き、この先もずっと続く闘いだ。エルリック・サーガにおける法と混沌のように全ての本格ミステリはこの闘いに起因しているといっても過言ではないかもしれない。
 
 それは、「固有性」と「代替性」の闘いである。
 
 本格ミステリ創生において、この「固有性」と「代替性」は互いに違った方法でジャンルを導いてきた。犯人Xを固有な個人へと変換する行為や誰もが知っている「名」探偵は人間を固有たらしめようとする力が生んだものだし、逆に犯人が容疑者の海に巧妙に隠れる行為や人物入れ替えトリックなどは個人の代替性が生んだものだ。このようにこの二つは本格ミステリが発展する上で必ず基盤となってきた要素であり、それらはしばしば小説内世界を借りて攻めぎ合う。
 
 パラレルワールドの英国王家を舞台にした本格ミステリである本書も例に漏れない。
 謎のいたずら者「ジョーカー」とそれに翻弄される王家の人々。ジョーカーは王家の秘密を探ろうと、王家の人々はジョーカーの正体を探ろうと四苦八苦し、ついには殺人事件まで起きてしまう。
 注目しなければならないのは本書における主人公たち−−すなわちイギリス王家の人々はこの地上において最も固有性を約束された人間たちであるという事実だ。歴史によって、血統によって、国家権力によってその固有性を証明されてきた王家の面々と、その固有性に走った亀裂という図式は本格ミステリ史上最大のスケールといっても過言ではない。わざわざこの設定を持ってきたディキンスンの目論見通りと言ったところだろうか。
 
 本作における王家の人々やその慣習は(もっとも若く、固有性に自覚のない)主人公の王女ルイーズによってわずかな軋みを観察される。王と側近の不倫は女王の固有性を揺らがせるものであるし、王と外見がそっくりな警備員との影武者遊びは王の固有性を揺らがせてしまう。王族というフレームとそこに内包される家族というフレームが崩壊の兆しを読者の前に露わにし、王族=史上最強の固有性という幻想はあたかも崩れ去る寸前のようだ。そしてジョーカーが動く。現王族の最大のタブーを告発するジョーカー。そして続けざまに起こる殺人事件。かくして「固有性」と「代替性」の闘いが始まり、果たしてその結末や如何にというのが本書の最大の見所である。
 
 ちなみに本書のタイトル『キングとジョーカー』は明らかに両者を象徴している。トランプにおけるキングは(一部の例外を除き)最強のカード。ポーカーなどではクイーンやジャックとともに唯一固有の役をつくることができるカードだ。対するジョーカーは代替性の象徴たるカード。ありとあらゆるカードに成りすまし、ロイヤルを脅かす効果すら発揮することもあるカードだ。
 
 さて、以下は本書の核心に触れるネタバレになるので反転する。
犯人のアリバイを立証していたのがただの偶発的な人物入れ替えトリック(しかも作中でそっくりであることは何度も明示されている)だったという真相に肩透かしをくらった読者はいるだろうと思う。本格ミステリのファンならば最初に疑うだろう古典的トリックであるし、ファンでなくとも「王様と乞食」の童話から連想することはできるはずだ。古典的過ぎるがゆえに誰も疑わないという逆説的解釈も成り立つかもしれないが、どうしても古臭い印象は否めないのではないだろうか。
 しかし、上述の「固有性」と「代替性」の闘いという見地に立てば、そのような既視観などどうでもよく、このトリックは別の意味合いを持つ。
 王家によるリストラを契機に「固有性」が揺らいだジョーカーに対して、変装して使用人を誘惑することで「家族=一家の長という固有性」を持たせてやろうとしたキング。「固有性」と「代替性」のすれ違いが奇妙な状況を引き起こしてしまったのだ。このすれ違いこそが本作のミステリとしての妙味であり、これは冒頭から繰り返し語られてきたテーマによって味わいは倍化されている。
 死の間際までジョーカーが口にしていた「われわれ」という単語は「固有性」に憧れながらも敵に回った道化の悲しみを物語る。さらに皮肉なのはこの「われわれ」という単語が気に食わなくてジョーカーを殺害した犯人も、その後二人目のジョーカーとして「代替性」の海に身を投げてしまったということだ。これらの皮肉は本作にそこはかとない仄かな哀愁を持たせることに成功している。
 そして物語のラスト。語り手ルイーズにとっての王族という固有性はジョーカーたちに破壊されつくしたかのように見えた。王族であることに希望を見出せなくなったルイーズは父である王と話し合いを持つ。そこで出た結論は「自らが私生児であることを公示する」こと。王族のフレームが破壊されて、最後に家族のフレームが残った。家族の一員としてなら「固有性」を保てると悟るルイーズは自由となる。晴れやかな幕切れである。

  
 長々と筆を費やしてきたが、以上のことから『キングとジョーカー』は本格ミステリの一つの極北であり、小説としてのある程度の成功を治めている秀作と結論する。特に触れなかったが麻耶雄嵩『木製の王子』あたりと比較しても楽しいかもしれない。あちらも同テーマを別のアプローチで処理した傑作だからだ。