イニシエーション・ラブ/乾くるみ
- 作者: 乾 くるみ
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2007/04/10
- メディア: 文庫
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何とも戦慄を禁じえない一文であった。といっても、作者の企みが全て明かされるラスト2行のことを言っているわけではない。私はその箇所よりも、物語中盤のとある一文にこの作品の強烈な個性を感じた。その一文があるかないかで、私にとって大きく評価が変わる一文である。
当然、その一文を明かし、何故そこに興味を惹かれたかを記述するにはネタを明かさねばなるまい。というわけで、以下は恒例のネタばれ反転である。
→本書のメイントリックとは、異なる時期に展開された(そしていくらかは重複した)恋愛を、地続きの時間軸に錯覚させようとする叙述トリックである。side-Aという章題の視点人物である夕樹と、side-Bという章題の視点人物辰也は、共に恋人の繭子から《たっくん》の愛称で呼ばれている。しかし、夕樹の視点からは辰也が、辰也の視点からは夕樹が排斥されそれぞれが繭子の(初めての)恋人は自分一人だと思い込んでいる。当然、視点を共にする読者もそのように思い込み、ラストに至って繭子が二股をかけていたことを知って繭子の魔性に驚くという構造になっている。
しかし、本当にそれだけのことならば、本書は何も奇異な作品ではないだろう。古典の時代から数多描かれてきた女の魔性や叙述トリックの数々。何もこの作品だけがそれらを取り扱っているわけではないのだ。
だが、以下の一文で筆者の感想は根底を覆された。
「ううん。二度目の相手もたっくん、三度目の相手もたっくん。これからずっと、死ぬまで相手はたっくん一人」(文春文庫版、P114)
私はこの一文こそ、本作のキモの全てだと思う。この繭子の台詞は恐らく多くの読者が再読時に発見されたであろう、《拾われるべき伏線》である。夕樹/辰也の二人の《たっくん》をラップさせているということは再読した読者ならば容易に気が付くはずだ。
この台詞は端的に言うと、本作を成立させている狂気である。思い出してほしい。夕樹という名前をかなり強引な変換で《たっくん》という愛称にした繭子。自動車免許や服装、一人称に至るまで夕樹を辰也そっくりにしたのも繭子。繭子はただ二股を掛けていたのではなく、《たっくん》の量産を企んだのである。
夕貴という個人を消滅させ、素体となった辰也とも違う《たっくん》というイデアを淡々と作り上げる繭子は、永遠に《たっくん》という《繭》に閉じこもろうという反復性への強固な意思を感じさせる。美弥子が若い頃の仮初めの恋愛を大人への成長過程における儀式だと述べるシーンがあるが、その言に従うならば繭子は大人への成長過程を拒絶した人間であると言えよう。その証左に繭子が子供を堕胎したという事実は、彼女が大人への解りやすい過程を拒絶していると言い換えることもできる。
人間の関係性を雛型通りに量産し続ける行為、生産とリセットの輪廻は『ドグラ・マグラ』の血統の証ではないだろうか。繭子はこの一点に置いて、ただの二股を掛けた性悪女という卑俗なだけの存在では断じてない。
読者の前には夕樹と辰也の二人の《たっくん》しか提示されなかった。しかし、誰が断言できよう。夕樹の後に第三の《たっくん》が控えているかもしれない事実を。辰也の前に原初の《たっくん》が存在したかもしれない可能性を。そのような無限性をも示唆した狂気こそが、この作品最大の個性だと感じた。←
というわけで、非常に快作でありました。