硝子のハンマー/貴志祐介

硝子のハンマー (角川文庫)

硝子のハンマー (角川文庫)

 
 今さら読みました。
 
 本作を読んでまず思い浮かんだのは次の2つの単語だった。
 「スペシャリスト」と「ゼネラリスト」。主人公の探偵コンビ、防犯コンサルタント・榎本と弁護士・青砥の二人がまさしくそのような一対に思えたからだ。というわけで、今回はこれをキーワードにして感想を書いてみようと思う。
 
 古くはポーの『モルグ街の殺人』で出てきたオーギュスト・デュパン、彼が一般的に名探偵なるもののハシリだと言っても過言ではない。彼は類まれなる推理力を持っていたわけだが、その能力がスペシャリストかゼネラリストかといえば、後者だと思うのだ。様々な書物から知識を吸収し、それらを駆使する彼は博覧強記であっても、何の特別な技能を持たない没落貴族にすぎない。
 
 その後しばらく現れた数多の名探偵たちも同様である。彼らはゼネラリスト的手法――多分野の情報を組み合わせ真相に迫る手法を用いて事件を解決していく。中には特殊な技能・知識を持った設定の探偵もいたが、それが無ければ真相が解らなかったという小説はほぼ皆無のように思える*1
 
 これは一つに、読者の好みの問題があるからだろう。例えば貴方がミステリー小説を「真相はこんなのじゃないかしら」と推察しながら読んでいて、さあいよいよ解決篇という段になって、かなり特殊な専門知識が無ければ解らないような真相の迫り方だったらどう感じますか?
 ミステリーをゲームと見なし、フェアを求めているある種の人々は「こんなのフェアじゃない!」と怒り出すかもしれない。始めから何も考えずに読んでいる人も「何じゃこりゃ」と首を傾げるかもしれない。いくらかは「へえ、そうなんだ」と納得する人もいるかもしれない。
 ただし、一世紀から半世紀ほど前は違っていたはず。真意はどうあれノックスの十戒なんてものが存在していたような時代なので、そのような小説が受け入れられたとは考えにくい。
 
 おそらく、当時の階級社会の影響もあるのだろうと思う。探偵が貴族の末裔だったり、やや階級を下げても医者や弁護士だったように、古典の世界においてはブルーカラー階級は探偵になりえなかった(ホワイトカラー階級ですら微妙な出演率)。そういった小説の作者も(クロフツなどの例外を除いて*2)皆ブルーカラー階級ではなかったし、読者も識字率が高まったとはいえやはりブルーカラー階級は少なかったのだろう。
 
 しかし、そんな風潮も時と共に風化した。作家にも読者にもブルーカラー階級が増えた。当然、作品内にも技術者の探偵や犯人も増えた。ミステリーのジャンルも随分と拡散した。それでも、いわゆる本格ミステリというジャンルだけは特殊な知識を必須とする解決を拒みつづけて今日に至る。
 
 ここで、ようやく『硝子のハンマー』の話に戻る。冒頭に書いたように本書はスペシャリスト・榎本とゼネラリスト・青砥のコンビが一つの事件に挑む物語だ。青砥が古典的な探偵の後継者であるのに対し、榎本は長らく追放されてきた異端の探偵である。各々のスキルによって導かれた推理が矢継ぎ早に開陳されていくスピーディーな展開は、探偵VS犯人という図式の他に、スペシャリスト探偵VSゼネラリスト探偵という図式も内包しており、読者は二重の享楽を得ることになる。
 
 私は正直、事件の犯人やトリックよりも、どちらの探偵の手法が優っているのかの方がずっと興味を覚えた。だってこれ、稀に見る異種探偵マッチですよ。興奮しないはずがありません。果たして本作はスペシャリスト探偵とゼネラリスト探偵のどちらに軍配をあげるのか。
 
 結論から言うと、この勝負の行方は貴志は棚上げした感がある。今回はネタバレしないのでぼかして書くが、犯人の用いたトリックはある種の物理的な知識が必要でありながらも、そこまで専門性を要さないレベルのものだったからだ。
 無論、これはエンタメとしては定石ではある。多くの読者がついてこれないようなトリックならば、本作はあまり評価されなかっただろうからだ。非難に値する瑕疵ではないどころか、貴志の確かなバランス感覚を賞賛するべきなのだろう。
 しかしながら、これだけ「スペシャリスト」を描ききった(第2部で出てくるある人物含む)のだから、少しもったいないというのも正直な話だ。
 
 というわけで、素直に傑作としたい感情と、一抹の寂しさを覚える感情。色々と考えることの多い作品だった。

*1:と、筆者がすぐに思いつく初期の探偵小説では例外が見当たらなかった。

*2:そういえば、貴志は『クロイドン〜』を好きな小説だと公言していてこの符号は面白いかも