その死者の名は/エリザベス・フェラーズ

その死者の名は (創元推理文庫)

その死者の名は (創元推理文庫)


トビー&ジョージシリーズ邦訳4冊は全部読み終わる。
世評通り、出来は猿(4作目・邦訳1作目)>自殺(3作目・邦訳2作目)>細工(2作目・邦訳3作目)>死者(1作目・邦訳4作目)だった。
フェラーズが段々と腕を上げているのはわかるが、今回の邦訳に沿って読み始めた日本の読者はがっかりする。後で日本で翻訳されたものほど面白くないから。ただ、猿を最初に持ってきた売り方は英断。そして、邦訳で残されたのが5作目なので、猿以上とは言わずとも細工あたりよりは面白いのではないかと思われる。


さて『その死者の名は』だが、被害者捜しで幕を開ける。冒頭で死んだのは誰なのかが途中まで物語を引っ張る。
パット・マガーやレオ・ブルースあたりまでやると、もはやそれがメインコンセプトなんだろうが、今回のフェラーズのそれはネタ倒れ。
トビー&ジョージのデビュー(とそれにともなうシリーズのスタイル確立)以外にあまり見るべきところもない作品だと思った。


シリーズを通して解かったのは、フェラーズの若い女性に対する底意地の悪さだ。若い女性は大抵頭が悪く、悪い男に引っかかるというのが繰り返されるモチーフ(当然、事件を構成する人間関係の主軸になる)。これらのシリーズを書いた時、フェラーズは30代前半。過去を振り返り、若さを悔いる年齢ではあるが、若さを無意識に捨てきれていない年齢かと思われる。だから、作品に出てくる女性は皆悲惨な目に会う(殺されたり、親が結婚許してくれなかったり)が、救いが無いようには見えない。


あと、ここまで来ると妄想だが、トビー=ダイクはフェラーズの理想の男性像として描かれているのではないかとも思った。確かに推理は外すが、その割りにやることは様になっていて、シェリンガムよりも男性的魅力に秀でているように感じられる。
実際の推理=ジョージと事件の一応の解決=トビーの2段構えを見るに、どうしてもフェラーズのトビーに対する皮肉は感じられなかった(訳の雰囲気のせいもあるが)。むしろ、ジョージが言うようにトビーは「推理を除けば最高」の男である。

悲惨な目にあう女性を救うのは、ロジックではなくレトリックだというメッセージがこめられているような気がした。
あくまで気がしただけ。