カディスの赤い星/逢坂剛

カディスの赤い星〈上〉 (講談社文庫)

カディスの赤い星〈上〉 (講談社文庫)


カディスの赤い星〈下〉 (講談社文庫)

カディスの赤い星〈下〉 (講談社文庫)


逢坂のスペインものを読んでいてふと一つの疑問が。
なぜ、(スペインの内情に詳しい)日本人が登場人物に必ず出てくるのだろうか?スペインを舞台にした冒険小説を書きたいのなら日本人でなくても別に良いはず。
一つに主人公が日本人でなければ手にとってもらえないという商業的な事情があるのだろう。
もう一つは、むしろこちらの方が重要なのだが、スペイン内戦を「外部の視点から視る」ということをライフワークとしているからであろう。以前も書いたとおり、「誰が味方かすらわからない」のがスペイン内戦。このイデオロギーの混沌を描写するのに、平和然とした(無知な)日本人の視点というものは必要なのだろう。ここらへんは同じく馴染みの薄い土地に日本人としての視線を向ける船戸与一も同様。


で、肝心の『カディス』なのだが、舞台はほとんど日本。後半ちょっとスペインに行くだけ。「日本人がスペイン内戦を視る」という点からこの作品を語るのであれば、十分とは言えない。思想背景にしても死線をくぐるにしても「日本人」がスペインをちょっとしたスペクタクルとともに「つまみ食い」しただけに感じられる(もちろん酷い目に会っているのだが)。主人公の日本人の価値観は揺らがないし、人生も変わらない。つまり魂がスペインと密接ではない。


もちろん、だからといってこの作品の魅力が損なわれるわけではない。ラストの意外な真相や、ヒロインの造型など見るべき点も多い。しかし、魂揺さぶられる冒険小説−スペインと熱い魂の邂逅を期待するのなら肩透かしである。