火よ、燃えろ/ディクスン・カー

火よ燃えろ! (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-5)

火よ燃えろ! (ハヤカワ・ミステリ文庫 5-5)


後期の歴史ミステリ。


『ビロードの悪魔』などと一緒で、現代人が過去にタイムスリップして事件を解決するタイプ。タイムスリップするに至る過程や必然性などはあっさりしており、何の説明も無いまま10ページくらいで終わる。悪魔と契約して過去に行ったり、タクシーに乗ったらいつのまにか過去に到着していたりと言った具合だ。
そして、何よりタイムスリップした主人公はその事をあまり深くは捉えないというのが特徴で、最初は夢ではないのかと疑いながらも中盤にはそんな考えは滅却して完全に過去の人物に成りきっている。
また、SFであるならば必ず出てくるタイムパラドクスの問題は、主人公という存在がそのままタイムスリップしたのではなく過去の世界の似た人物(あるいは先祖)に憑依したという設定で片付けられる。主人公自身、歴史の整合性を打破しようとしているくらいだ。


いってしまえば、これらの作品群はご都合主義的なタイムスリップものである。タイムスリップの良いところだけにフォーカスを絞った小説だ。過去の世界に憧憬を抱いた男が、わけのわからない方法で偶然過去へ意識を飛ばし、活劇を繰り広げるといった話。カーのロマン(夢見がちともいう)の結晶なのである。
しかし、夢見がちな男の誇大妄想ほど読んでいて面白いものはなく、カーのどの時代の作品よりも筆致は活き活きとしており、プロット・トリックともに申し分のない出来だ。ミステリ的な点だけでいうならば、タイムスリップ設定はトリックを創る上で絶対不可欠な必然性をともなっており、その意味では歴史小説的な部分はミステリ部分に奉仕するために存在すると言えなくもない。


何はともあれ、カーの作品のなかでも最上の部類にはいる傑作である。手に入りにくいが一読の価値は十分に満たしている。あまり触れなかったが、ラブロマンスや冒険活劇といった要素も色濃く、面白い。
ちなみに『火よ、燃えろ!』の後書きはいきなりトリックのネタバレから入るので本編を読み終わったあとに読んだ方が良い。