幻夜/東野圭吾

幻夜

幻夜


白夜行』の続編。


基本的には前作のプロットと演出を踏襲している。この作品が前作とリンクする事によって「大河ノワール」という世にも珍しい新ジャンルが生まれてしまったという意味では、東野作品、いや全ミステリーにとって慶事だ。
その大河の時間軸も阪神大震災サリン事件、平成不況といった暗黒の平成史をなぞらえるものであり、このあたりも目新しい。北森鴻が『共犯マジック』で昭和史の暗黒を懐古していたが、すでに平成も懐古の対象なのである。私のように平成の幕開けを義務教育の始まりとした世代には一際感慨深いのかもしれない。そうだよなあ、すでに平成も「過去」なんだよなあ。


大河といえば定番テーマは「成りあがり」。これは昭和の高度経済成長期作品の特徴だが、『幻夜』で時代を平成に移し変えても不自然なく成立していることに驚く。東野といえばブルーカラーの成りあがりを描くことに筆の冴えを見せるのだが、80年代デビューの東野がなぜ成りあがりに執着するのか今まで解からなかった。しかし、この作品でようやく氷解。平成もまた暗黒の時代であり、一部の人々には「成りあがり」精神は残存していたのだ。
最近のドラマで『白い巨塔』や『砂の器』のような昭和成りあがりストーリーのリバイバルがヒットしていることからも、現在大衆は閉塞した時代を駆け巡る物語を希求しているのかもしれない。


さて、ここからはネタバレを含んだ感想。
お題は「『白夜行』と『幻夜』。、その相違点は?」


美冬=雪穂は前作の読者なら容易に想像がついただろう。年食ってもやってること一緒だから。共犯の男に汚い仕事を引き受けてもらい、自分は高みを登って行く。その際、武器とするのは性的な魅力と狡知に長けた頭脳。
しかし、『白夜行』と『幻夜』で決定的に違うのはパートナーの男の存在だ。前作では亮司は無二の運命共同体として雪穂と同格(亮司もまた雪穂と同じように内面を描写されないことからも解かる)だったのに対し、今作では雅也は体よく使役される存在だ(雅也の揺れる内面は描写されている)。美冬の序列では雅也は青江や浜中と同格であったのにも関わらず、東野は明らかに「雅也だけは特別な存在」と仄めかすような叙述をとる。おそらくほとんどの読者が雅也=亮司のポジションというイメージを刷り込まれたのではないだろうか。雅也はさも主人公の一人のように見える。
しかし、結果は違うのである。亮司も雅也も最期には死ぬという結末こそ一緒だが、片や美冬に殉じて、片や美冬に騙されて死んでいく。
つまり『幻夜』は文字通り「幻」。『白夜行』というオリジナルのコピーなのだ。
この自身の失った半身をコピーして弄ぶという行為にこそ美冬の暗い情念を感じる。この情念があるからこそ、『幻夜』は『白夜行』とは違う意味での傑作なのである。