歌の翼に/菅浩江


祥伝社ノベルス。連作短篇集。


菅の同じく本格ミステリであった『鬼女の都』は口に合わなかった私だが、この作品には好感を持った。ミステリ的文法が達者になったとでもいうのか。ポテンシャルが高い作家なだけに今後本格ミステリでも大傑作を書くかもしれない。


お話自体は加納朋子『ガラスの麒麟』の菅浩江版みたいなもの。悪意と被害者の再生を女性的な切り口で書き連ねるスタイル。
『ガラスの麒麟』が死=再生不可能を打ち出した事により生をより際立たせているのに対して、こちらは○○○=人間関係の絶対的崩壊を打ち出した事によって人間の関係性に迫る。


この作品を読んで気づいたのは菅の「ナイーブな人間」に対するスタンスだ。
この作品の主人公は完璧な超人として描かれる。資産家令嬢、音大首席卒業、温厚な正確と怜悧な思考能力。ゆえに愛されるべきはずなのに、実際は多くの人間からは疎まれていた。そしてその感受性の高さゆえに、その視線に気づき人間関係を上手く結べないという主人公。


言ってしまえば社会不適合者ですらある。


しかし、菅はその理由を外因(世間の目)だけに求めず、主人公が自省するという形で内因をも深堀りしていく。主人公はやがて自分の自意識こそが周囲とのディスコミュニケーションの遠因なのではないかと思い始める。このあたりで被害者意識だけが高い馬鹿悲劇とは一線を画しているので好感が持てるのだ。


そこまで解かったときに、なんで『鬼女の都』が嫌いだったのか氷解した。当時の私はあの作品を前述通り「被害者意識だけが高い」と一蹴してしまったのではないだろうか。思えば女流作家に対する紋切り型の評価だった。菅がそれらとは一線を画している作家だということに気づけなかったのだ。


この作品を読んで、私の菅浩江に対する長年の誤解が解けた気がする。