疑惑の霧/クリスチアナ・ブランド

疑惑の霧 (ハヤカワ・ミステリ文庫)

疑惑の霧 (ハヤカワ・ミステリ文庫)


1953年発表。


ブランド後期の作品(といっても晩年に上梓された『暗闇の薔薇』と20年以上離れているが)。さすがに初期ほど複雑ではなく、比較的読みやすい。
この2年後の作品『はなれわざ』を読んだときも思ったが、ブランドはわずかにではあるが後期の作品になるにつれて、文章力の向上、プロットの整理などにより読みやすくなっているのではないか。あくまで、わずかにではあるが。


ブランドといえば淫乱女とその周辺の悲喜劇だが、この作品も例外ではない。特に中盤の「お腹の子の父親は誰か」を巡って、犯行動機の有無が錯綜するのは愉快。登場人物もすっきりシェイプアップされており、今までの作品に見られる「誰が犯人でもいいや」状態は薄いので、読者の推理もより指向性を伴えるのではないだろうか。前作に引き続くコックリルVSチャールズワースも見所である。
おそらく、この作品はネタバレを踏まえてブランドの超絶技巧を楽しんだ方が良いと思うので、ネタバレで面白さを説明してみる。


以下ネタバレ
冒頭の一文がなんとトリックの肝であったという事実がラスト3行で明かされるという趣向は面白い。本編の中盤が導入部になっているのは単なる洒落た演出かと思っていたが、そのように思う読者が多い事を見越して初っ端に仕掛けを持ってくる巧妙なミスディレクション。ブランド一流の叙述の冴えである。しかも、犯人テッドワードのトリックは一度は徹底的に覆されたっものであり、あれれと思って冒頭を読むと読者が陥穽に陥っていたという事実を突きつけられ、ショック大。凄まじい切れのテクニックである。あとは、テッドワードの精神病オチ。こちらも中盤のテッドワード視点の叙述のおかしさに小首を傾げても単なる演出だと思っていただけに破壊力抜群だった。「ジェミニ―・クリケット事件」を彷彿とさせる後味の悪さも備えている。
あと、終盤の老婆の狂言トリック。半ばこういう展開を予想していたが、実際文章になると笑う。


長らく絶版だったことや『ジェゼベル』、『はなれわざ』あたりに比べると地味だと思われていたことから光があまりあたらなかった作品だが、実はブランド要素がこれでもかというほど詰まった傑作である。