水の迷宮/石持浅海
- 作者: 石持浅海
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2004/10/20
- メディア: 新書
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『アイルランドの薔薇』を読んだ時から、石持浅海の面白さを例える言葉を考えていた。『水の迷宮』を読んで、こんな言葉がようやく思いついた。
石持浅海の作品は折り紙である。
何の折り目もついていない正方形の紙。そこに1つ1つ丁寧な折り目がついていき、最初の何の変哲もない紙からは想像できない美しい造型を成してしまう。複雑な工程を経なければ到達できないだろうと思われたはずなのに、丁寧に段階が示されていくので、どんな人も置き去りにされることがない。
で、『水の迷宮』の感想。
上記の比喩が思い浮かんだように、前作前々作と根本的なものは何一つ変わっていない。読者を置き去りにしない丁寧な論理展開、地味なプロットを印象深く見せる手際、物語の綺麗な畳み方。
同様に、いささか淡白な人間描写、ケレン味の無さなどの欠点として指摘されてきた部分も変わっていない。
つまり良い意味でも悪い意味でも稀有な持ち味は健在なのである。
ある人は一定のアベレージを保つ力量を評価するかもしれない。ある人は単なる焼き直しだと言って怒るかもしれない。
そこで他の石持作品と比較する基準を設けるなら、先ほど挙げた「物語の綺麗な畳み方」であろう。
石持が好んで閉鎖空間設定を用いるのは、プロットを盛り上げるためでも、トリックを機能させるためでもない。外部の一般的価値観を隔絶するためである。ゆえにバイアスがかかることを拒絶した内部では、犯人の価値観もそうでない人間の価値観も等価に扱われ、時にはある種のストックホルム症候群にも似た連帯感が生まれる。
閉鎖空間において純粋な状態でさらけだされる人間の意思。これが石持作品に共通するテーマであろう。
物語はその純粋な意思が結露した結末を迎える。
このあたりに、人による好き嫌いがありそうだ。純度の高さに感動する人間がいる反面、気持ち悪さを感じる人間がいてもおかしくはない。酸素も濃度が高ければ毒になるのと同じようなものかもしれない。
結論を言うと、『水の迷宮』の結末を私は生理的に受けつけなかった。もちろん、感動できるか否かなど個人によって違うのは前述した通りなので、この価値観を他人に押しつける気はない。純度の高さはある意味『月の扉』以上なので、『月の扉』よりも感動したという人間がいる一方で、『水の迷宮』にはついていけないという人間もいるだろう。
というわけで、色々な意味で読者を選びそうではあるが、好きな人はとことん好きでしょう。私も結末以外は肯定派なので。