閘門の足跡/ロナルド・A・ノックス
- 作者: ロナルド・A.ノックス,Ronald A. Knox,門野集
- 出版社/メーカー: 新樹社
- 発売日: 2004/09
- メディア: 単行本
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私はノックスが大好きだ。
なぜなら、私はノックスをユーモアとサタイアが最上級に素晴らしい作家だと思っているから。ゆえに、『陸橋殺人事件』のような本格ミステリとしては評価しがたいような作品さえも面白く感じてしまう。
真田啓介氏も似たようなことを感じているらしく、ノックス節の面白さを『サイロの死体』の解説にて存分に語っているので、興味のある方はそちらを読んだ方がてっとり早い。
さて、本作はそんなノックスの純粋本格ミステリである。とりわけ奇抜でもない事件に、何重もの複雑な解釈を照らして物語は進んでいく。ようするに重度のパズラー。
そこでは、およそ舞台に使い得る趣向やトリックが多々現われ、一種の探偵小説総目録的な作品となっている。目新しいものこそなけれど、組み合わせの巧さで探偵小説に多少慣れた読者にもなかなか読ませる。
また、プロットの複雑さによる弊害であるリーダビリティの低下もノックスの溢れるユーモアで抑えられている。
つまり、『閘門の足跡』は本格ミステリとしてほぼ完璧な作品である。
というわけで、古典ファン、特にノックスファンには必読。
以下ネタバレ感想。
→ジェローム・K・ジェロームの『ボートの3人男』を知っている読者は、当然この有名なユーモア小説が下敷きになっているのだと思う。そして、最初ボートの旅をする人間が2人であることに違和感を抱き、あとからファリスという3人目が登場した時にニヤリとする。こうしたお遊びも心憎い。
・追記
さて、『閘門の足跡』の感想を書いたが、あまりにも褒められる部分ばかりの作品だったので、真田啓介氏の解説と言っていることがほとんど一緒になってしまった。
すでに優れた解説が存在しているというのに、これでは何のためにわざわざ私が感想を書いたのかわからない。そこで、氏と同じ趣向を借りて、私独自のこの小説の読み所を補足してみる。
・――イングランドの田舎を旅して、自分が信じる通り、教会に通う人の数が本当に減っていることを確かめるのも悪くない。(P19)
ノックス自身が大僧正であった事実、田舎で起きた事件を取り扱った『陸橋殺人事件』のある仮説などとともに鑑みるに、ノックスは辺境におけるキリスト教に対してある種の皮肉な感覚を抱いていると感じる描写。『陸橋〜』に出てくる無神論者の設定は、トリックにおける必然性以上にノックス自身が常日頃思っていたことを書いたのだろうかと思うと楽しくてしょうがない。
・――そして人間は絶望的な状況に置かれない限り、絶望的な手段に訴えないと確信するに至りました。(P125)
クアーク氏の台詞より。『閘門〜』を読み終えた読者は、この台詞を再読した時、爆笑する事必至だ。
・――正義感の強い立派な人たちは、根っからの悪人と出会ったとき、きっと道徳的に真っ向から否定する。でも、わたしみたいにごく平凡な人間は、そんな気持ちになれず、ただ驚きみたいなものを感じるだけ。(P211)
探偵小説が成立した理由を示唆する描写。要するに勧善懲悪を志向したものじゃなくてゴシップ的想像力の産物だということ。