紅楼夢の殺人/芦辺拓

紅楼夢の殺人 (本格ミステリ・マスターズ)

紅楼夢の殺人 (本格ミステリ・マスターズ)


 私は芦辺作品に接するとき、必ずある種の戸惑いを抱く。それは「トリックの伏線の張り方が緩い」という戸惑いである。実はこの感想はディクスン・カーを読んだ時にも感じるもので、芦辺がカーのファンを標榜していることからも、どうやら意識的にやっていることなのだと思っている。
 『名探偵の世紀』(1999年、原書房)の中で二階堂黎人が「ほのめかしがあればいいんです、カーは。」(P364)と述べていて、これも本格ミステリの一つのスタイルだと納得はできる。誰もがクイーンのような見事な演繹的な推理を完成させられるわけではなく、むしろ本格ミステリの歴史においては「ほのめかし」程度で済ましてきた作家の方が多い。そして、彼らの作品が軒並みクイーンに劣っているかといわれればそんなことは全く無く、燦然たる傑作も生まれてきた。


 しかし、どうも芦辺の創作したトリックは伏線の緩さの度が過ぎる。サプライズを重視するあまりフェア性に欠け、どんなに派手であってもカタルシスに至らない。ゆえに、芦辺の作品はどうしても私の琴線に触れなかったのである。本書を読むまでは。


 『紅楼夢の殺人』に出てくる殺害トリックは全てこれまでの芦辺のトリック創作法の延長線上にある。怪奇・耽美・派手だが、どこか地に足のついていないトリック。しかし、この「地に足のついていない」という欠点は、大観園という壺中天に充満する雰囲気にあってはマイナスにならない。むしろ、作品が持つ幻想的雰囲気を助長する最大の武器にさえなっている。
 その上、事件の真相との相性がこの上なく良い。一つ一つの事件と用いられたトリックは非常に軽く消費されるが*1、それが被害者の生死の軽さに結びつき、作品主題を大いに盛り上げる。

 
 つまり、『紅楼夢の殺人』は芦辺の(人によっては嫌いそうな)特徴が最大限に効果をプラスに発揮した作品なのである。『紅楼夢』を読んだ事はないのだが、この舞台設定を借りてきたのは英断であると言わずにはいられない。

 無論、ミクロな観点のみならず、作品を通底する大きな仕掛けもバッチリきまっている。『紅楼夢の殺人』は傑作だと思う。

*1:解決編に該当する第12章は約30ページだが、その少ない枚数の中でなんと5個のトリックが矢継ぎ早に暴かれる。