半落ち/横山秀夫

半落ち

半落ち


 過剰なほどの体言止めと短いセンテンス。横山が意図的にこういった特徴の文章を書いていることは容易に推測される。これらによって読みやすさ、および緊迫感が作品に生まれている。
 しかし、それ以上に感じたのは、これらの技法が何かを断絶しているように思えてならないということだった。


 かつて『爆笑問題のススメ』という番組で、重松清は「未練のススメ」というテーマで語っていた。「有り得たかもしれないもう1つの人生に対する未練」が重松の執筆動力になっているのだという。
 『半落ち』、ひいては横山秀夫の作品を読む時、私はこの重松のトークを思い出してしまう。


 『半落ち』は六人の登場人物の視点で語られる。いずれもが、社会にそれなりの地位を持ち、それなりの年齢である。彼等に通底するのが、この「未練」だ。直截的に語られざるとも、彼等のいずれもが自らの人生に疑問を呈している。また、詳しく書くとネタバレになるので、ぼかして書くが、この作品のプロットの肝や作品主題もこの「人生への疑問」によって成立している。


 しかし、彼等の未練は現実によってスッパリと断ち切られる。いくら妄想にふけったところで、自らが選択した事実は1つしかないと真理に気付いてしまう。
 ならば、先述した横山の文体が、これらの未練を断ち切るように体言止めを連発するのもむべなるかな。


 リーダビリティ重視のように見えて、実はテーマと深く関わりを持つ文章。これこそ『半落ち』の最も魅力的な点だと思った。