『ギロチン城』殺人事件/北山猛邦

『ギロチン城』殺人事件 (講談社ノベルス)

『ギロチン城』殺人事件 (講談社ノベルス)


 癖の強い設定や登場人物。北山猛邦の特徴の一つ。しかし、こんな所だけを取り上げて作品の出来を論じても(キャラが良い/受けつけないとか)、印象論におちいってしまうのでそれはしない。

 
 というわけで、本格ミステリとしてどうかという点にのみ絞って話を進めると、今回は北山の駄目な所が顕著に現われた一作だと思う。


 以下ネタバレ。作品を読了後にお読みください。

 →建物の構造を利用したトリックを用いる場合、「犯人がその建物をどうやって利用したか」という点のみならず、求められるのはその前提条件である「なぜそのような建物が建てられたのか」が重要だと思う。いくら当主が狂気の人だといえ、何の目的もなく奇抜な建築物なんかつくらないでしょう。
 では、『ギロチン城』2Fの回廊はなぜあんな機械装置が付いているのか。一応P202の下段で「魔術としての意味が込められて造られた」という説明はなされているが、この理由はかなり弱い。ここらへんの匙加減は往年の名作と比較するとわかりやすい。


 というわけで、島田荘司『斜め屋敷の犯罪』と綾辻行人時計館の殺人』を読んだ人のみさらなるネタバレに進んでください。
 

 →例えば『斜め屋敷の犯罪』は標的を殺害するためだけに屋敷が建造されたという設定になっている。最初から殺人を目的としているので建物が建てられた説得力はある。
 『時計館の殺人』はどうだろう。あれは最初から殺害は目的として建てられた屋敷ではない。しかし、『時計館』を建築するだけの逼迫した状況があったのでこれもセーフ。
 こうして並べてみると『ギロチン城』は都合が良すぎる。例えば先例に倣って、『ギロチン城』が姉妹を殺すためだけに造られただとか、「スクウェア」を完成させなければならない逼迫した状況があったという風に処理されていれば一応の説得力はあった。しかし、前者は当主≠犯人ではないので無理だし、後者はP24〜25にかけて「人形に魂を吹き込むため」という説明こそあるもののそこまで必然性を感じなかった。
 ゆえに、トリックのためのご都合主義と感じられてしまう。このご都合主義も持ち味なんだろうけど。


 アイディアは面白いのに、こういう処理しかできなかったのかという残念な思いが残る。


 追記:北山作品の物理トリックが(図とか見れば)わりと簡単に見破れてしまうという一種の皮肉だとしても、歓迎できるものとできないものがある。これは絶対に見破られないことを前提にした清涼院を歓迎できる/できないという議論にも似ている。
 あともう一つ仕掛けられたトリックは某氏の言うように「観念的すぎて」フェア/アンフェアを問う以前にトリックとして扱っていいのかなあと思った。試みはわかるんだけど。