終戦のローレライ/福井晴敏
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私はこの小説の最大の肝は身体感覚の取扱い方だと思った。戦時を体験していない人間が戦争を描くときに立ちはだかる最も高い壁は、いわずもがな戦闘によってもたらされる多くの身体感覚をどのように描写するかといった問題だろう。
銃で撃ちぬかれたことも、爆薬で吹き飛ばされたことも、飢餓の限界にいたったこともない世代がどのような苦心を重ねたところで、“あの”時代を切り取ることがわずかでも出来たのだろうかという疑念はついてまわる。想像を遥かに超越した世界。そこに福井という若い作家がどのように挑むのか興味を覚えた。
この小説の主な舞台は水面下である。冒険活劇や恋愛といったドラマのほとんどが潜水艦の内部で繰り広げられる。当然、敵国との戦闘も潜水艦VS潜水艦であったり、潜水艦VS艦隊。直接銃を突き付けあわしたり、食糧難に喘ぎながら持久戦を繰り広げる事はない。
水中戦であるがゆえに、生き残るか一瞬で爆死するかといったニ択が乗員に課せられる。基本的に死に至る苦しみや悔恨が訥々と語られるわけではなく、登場人物はあっという間に死んでしまう。特にアメリカ艦が爆沈するシーンでは、何百人というアメリカ人が一瞬で消滅するのに、それを討った日本人の手に血の匂いが染み付くことはない。
しかし、<彼女>の存在が確かに人を殺したという実感を持たせる。あらゆる痛苦を感覚として受け取る<彼女>は、本来戦闘に関わった人間全てが感じるはずであった痛みを代行する。SF設定を付与され、本名よりもコードで識別される―もっともリアリティのないはずの<彼女>が、唯一戦争の痛苦を受肉したという皮肉。身体と存在のリアルとフィクションが反転している。フィクション世代の人間が、どれほどリアルを生み出そうと苦心したところで、それが欺瞞であることに気づき、ならばフィクションの側から近寄ろうという試みが見え隠れする。
やがて、<彼女>を見守り続けた<伊五○七>にもそれは伝播し、それまで一切兵役経験を持たなかった主人公も感じ取るようになる。エピローグに至って、リアルとフィクションは共生し、境界線は無くなる。これが戦争をフィクションで知った世代である福井なりの解答。フィクション世代によるリアルへの真摯な漸近である。
この福井の解答を肯定できない人間もいると思われる。しかし、解答の中身がどうであるかという以上に、自身のベストを尽くした福井の姿勢を評価するべきだと思う。