試行錯誤/アントニイ・バークリー

試行錯誤 (創元推理文庫)

試行錯誤 (創元推理文庫)


 バークリー名義の作品で、これほど法廷シーンが頻出する作品は珍しいんじゃないだろうか。アイルズ名義であれば『殺意』という倒叙ミステリの傑作(当然、法廷シーンも出てくる)はある。しかし、名探偵の物語を基調とするバークリー名義の作品においては今までほとんど法廷シーンは出てこなかった。


 ロジャー・シェリンガムが主人公を務める数作において、若干の例外を除けば、基本的に探偵が事件に絡む動機は野次馬根性である。事件発生→マスコミで騒然→興味を抱いたシェリンガムが真相を突きとめようとするというのが序盤の主な流れだ。
 マスコミや司法捜査の見解に対して、シェリンガムは常に異論を持っている。そして、マスコミの扇情性や司法の杜撰さに対して、ある種のシニカルな態度をとることがしばしば*1
 なので、モーズビー警部とも連携はほとんど取らないし、マスコミの情報よりも口コミを重視するし、法廷に立って弁護するくらいなら現場に直行するのである。


 ここらへんに当時の英国探偵小説の在り方が見えてきそうだ。探偵小説は「実際社会の福利を助長する」と述べたのはチェスタトンだが、バークリーの作品にも「大衆よ、マスコミや司法に誤魔化されるな」という啓蒙が感じられる。本人も実在のシンプソン事件で派手な立ち回りをやったらしいし。


 長々と前置きしてしまったが、つまりこの作品以前のバークリーにとって探偵小説に警察や法廷の描写はあまり必要じゃなかったんだろうと思われる。


 『試行錯誤』はそれまでのバークリー名義の作品とは違い、法廷のドタバタがこれでもかというくらい書かれている。 
 それまでならばマスコミや司法を馬鹿にしつつ、その一段上で物語を展開させてきたバークリーだが、『試行錯誤』はマスコミや司法のレベルまで事件を落として展開させているのである。


 バークリー作品において、それまでも探偵=知識階級はコケにされてきた。しかし、それはあくまでカントリーハウスの中であったり、同じく知識階級によるもの。しかし、今回はマスコミや司法に弄られてしまう。良くも悪くもやりすぎで、過去最大級のスケールで皮肉が炸裂する。


 「もっと高飛車でスマートなのがバークリー」という人には受けが悪い作品かもしれない。しかし、「バークリーもっとやれ!」いう人には最高傑作足りうる。そんな小説。

*1:念のため書いておくが、シェリンガム自身も「クーリア」誌に寄稿しているマスコミ人である。しかし、『絹靴下殺人事件』(晶文社)のP34を読むと解かるとおり、個人的動機によって動いていることが多い。大抵、女絡みの動機だけど。