奇術師/クリストファー・プリースト


 去年あれだけ話題になって各種ランキングを総なめにした本なのに、今更ぁ? とおっしゃる人もいるかもしれません。今更です。傑作にとって旬などありません。傑作は常に傑作です。
 よって、すでに様々な風評が頭の中に入っている状態で臨んだ。様々な読み手にアジされているかもしれないが、そこはそれ。
 この作品の主な語りや構造、ガジェットについては、すでに多くの人が解説しているので特に言う事なし。自分の読みにこだわって感想を書いてみようと思う。


 実はこの作品を読んでいて気になったのは、アルフレッド・ボーデン:ルパート・エンジャという図式が子孫である二人、すなわちアンドルー・ウェストリー:ケイト・エンジャにスライドしている構造だった。


 読んですぐにわかるが、アルフレッドとルパートには確執がある。相手の食い扶持であるショーを邪魔したり、愛人を奪い合ったり、新開発した奇術を競い合ったり、その生涯のほとんどを喧嘩に費やしている。
 しかし実に意外な事に、両者が仲たがいを始めるようになったきっかけは微妙にずれている。アルフレッド視点からは死者の遺族から金をむしりとるルパートをこらしめる義憤が説明されているが、ルパート視点からは妻を流産に追いやったアルフレッドへの憎しみが述べられている。
 同じ出来事であるのに、たがいに自分が正しいと疑わない。どちらの語りも自分の都合の良い様に事実を改竄されているので、本当のところなどわかったものではない*1
 この二人のすれ違い関係について、二人の間を行ったり来たりした愛人のオリヴィアはこんな風に述べている。


「あなたとあのアルフレッド・ボーデンは、仲良くやっていけないふたりの恋人同士のようなものよ。まちがっているかしら?」(P366)

 アルフレッドとルパートは共に男性であり、性的興味もノーマルなので、当然「恋人同士」というのは比喩だ。しかし、常にお互いは伴侶以上に宿敵のことを思い悩む人生を送った。この事に対する比喩としては正しいと思われる。


 そこで、時は流れて現代。二人の子孫であるアンドルーとケイトが宿命的に出会った。ここで面白い記述を見つけたので、以下引用。


 また、自分の足下の床にケイトがこんなふうに腰をおろし、首をひねってこちらを見上げながら話し、わたしのほうへ体を寄せ、ドレスの胸元をさらにのぞかせており、しかも、そのことをケイト自身充分意識しているようなのも気にいっていた。(P53)


 この男性がある種素朴なみだらさを感じさせる、そこそこ魅力的な相手であることに気づいていたが、どんなときもセックスのチャンスをうかがっているたぐいの男のように思えた。(P238)

 上はアンドルーの、下はケイトの語る相手の印象である。宿敵同士の子孫の間にセクシャルな関係性が生まれかけていることがうかがえる。そして何より重要なのは、お互いに相手の方からセックスアピールをかけているように感じているという点だ。ラブコメなんかではよくあるパターン。
 相手に対する印象を述べたお互いの語りは、どちらも事実とすれ違ってしまい、騙りに転化してしまっている。しかし、ご先祖様のような険悪な関係にはならず、いみじくもオリヴィアが述べた「恋人同士」のようなセクシャルな関係に発展しかかっている。これにはアルフレッドとルパートとは違い、アンドルーとケイトが異性であることが大きいと思われるのだが、同じようにすれ違った関係性でも宿敵関係が恋人関係にスライドしかけているというのが非常に興味深い。

 
 つまるところ、人間の関係性は主観に大きく依存しているといっても過言ではない。そもそも、アルフレッドとルパートの確執もお互いの主観によってこじれてしまった。
 残念ながら、プリーストはガジェット面の仕掛けを着地させることに力を入れてしまったので、アンドルーとケイトがその後はどうなったかは読者はわからない。SF小説および幻想小説としてはそれは正しい判断なのだろうけども、この語り=主観のすれ違いから生まれてしまった関係性の顛末を見届けてみたいとも思った。


 というわけで、こんな些細な点からも妄想を膨らませて楽しめる小説だった。傑作だと思う。今までスルーしててすまないと思った。


 追記:ネット上の感想を見てまわってみると、アンドルーとケイトのパートは要らないという意見が散見された。私は上述の理由から絶対にあった方が良いと思う。

*1:たとえルパートの日記の方が写実的だとしても。