怪人フー・マンチュー/サックス・ローマー

怪人フー・マンチュー (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)

怪人フー・マンチュー (ハヤカワ・ポケット・ミステリ)


 シャーロック・ホームズの活躍の中でも特に「まだらの紐」*1に心ときめかせた方、必読である。本書は二十世紀初頭の文明と未開の不気味な戦いの中でも、最大の好カードであることは間違いない。


 『比類なきジーヴス』と同じく、雑誌連載の短編を刊行時に長編に改訂してしまったのか、基本的に連作短編と同じような構成で話が進む。各話で先ほどあげたような「まだらの紐」と似た基調の殺人方法が飛び出る飛び出る。作者が中国という国をなんか勘違いしていたんじゃないかというくらい猛獣と猛毒のオンパレードだ。そして、主人公達イギリス代表チームはその全てを「中国だから」「悪の天才だから」でスルーしてしまう。


 こんなのB級活劇だ、と怒り出してしまう読者もいるかもしれないが、あまりのハッタリ具合にこちらもつい許容。50ページも読むころにはフー・マンチューワールドに引きずり込まれるので苦にはならない。


 モリアーティ教授はホームズに苦汁を舐めさせられ続けたが、本作の正義の使徒ネイランド・スミス(と主人公含むその一行)は基本的に名探偵オーラは皆無かつ割り合い間抜けなので終始フー・マンチューが押しまくる。敵キャラのインパクトでは本家ホームズを圧倒していると思われる。作者サックス・ローマーがどこまで中国に精通していたかは怪しまれるが、中国を単なる蛮族と見下さず、それなりのリスペクト*2を持っていただろうことが推測される。ゆえに非常に緊迫した展開が臨めるのだ。
 

 主人公とヒロインのラブロマンス(お国は違うが、明智と文代さんを彷彿とさせる)、ラストのどんでん返し、次作を予感させる展開。その全てが懐かしき往年の探偵VS怪人もの。しかも相手は気球も変装も使わずに、猛獣と猛毒だけで攻撃してくる剛の者である。

 
 展開が物凄い性急なのがやや気になるものの、ヴァン・ダイン以前のバタ臭い探偵小説が読みたい人に超お薦め。ポケミス名画座だからって臆する必要は全くない。ただし、出てくる殺人方法はトリックなどと言える代物ではないので、その向きを期待する人には勧めない*3


追記:フー・マンチューが中国政治の悲劇が創造した怪物、対するネイランドが中々冷淡な(ヒロインに対する態度など)要職に就いたイギリス人という扱いであり、作者はお国の事情に対して複雑な感情を持っていたと思われる。私は同じ銀幕の怪物としてゴジラを連想したが、うがち過ぎだろうか。

*1:筆者未確認だが、この作品にインスパイアされたんじゃないかな。だって凶器が…。

*2:あくまで「それなり」ね。

*3:「まだらの紐」を引き合いに出したけど、あの作品を「これぞ本格」と賞賛するような人に薦めるわけではなく、アレを一種のバカミスとして許容できる人に薦めるという意味。