神様ゲーム/麻耶雄嵩

神様ゲーム (ミステリーランド)

神様ゲーム (ミステリーランド)


 傑作だと思う。子供向けレーベルでここまでやってくれると思わず、むしろこのレーベルだからこそという大技に痺れる。


 本格ミステリの世界において、神の実在は古来より*1問われ続けてきた命題である。超越的な視点から事件を俯瞰することができる神が存在すれば、純粋に論理だけで謎を解きうる「完璧な本格ミステリ」もまた存在することができるからだ。この命題に直面し、悩み続けたのは著者の敬愛するクイーンだった。


 以来、多くの求道者は「完璧な本格ミステリ」を追求するために様々な道を求めた。ある一派は神を代替するシステムを造ることでこれを可能としようとした。アシモフに始まるSFミステリなんかはこれに該当するのかなと思う。人間が理の造物主となってしまえば、その理の範囲でのみならば「完璧な本格ミステリ」を体現できるからだ*2。しかし、それにしたって造物主が人間である以上絶対を保証はされない。


 さて、本書で麻耶雄嵩がやった「試み」の検討に入ろう。抜け抜けとアレを出してしまったこともさることながら、非常に上手いのはアレを読者に享受させるための手口である。
 たとえば、我々が通常読むいわゆる大人向け*3の本でアレを出されたならば、登場人物は、そして読者はいかにアレを受けとるだろうか。何か裏があるに決まっている*4。そう拒絶するのが当然である。アレが登場する小説などいくらでもあるが、本格ミステリの世界にてアレが完全に許容されるシーンなど無いといってもよいかもしれない。
 が、『神様ゲーム』の主人公・芳雄は子供なのである。アレを拒絶するための経験則など持ち合わせていない*5。いくつかの託宣さえ提示されてしまえば、アレを信じてしまう素地がある。レーベルのためのネタにあらず。このネタがようやくミステリーランドという誕生の場を得たとした方がよいと思う。


 そして、アレを受け入れたとき、通常ならば信じられないようなミステリが再誕することとなる。本書・大時計のシーン以降の展開は、「完璧なミステリ」の体現であるはずなのに、全てが捻れ、グロテスクさだけが全面に押し出される。これが我々が夢見た「完璧な本格ミステリ」なのだろうか、としばし呆然とさせられる。究極の遺伝子を持って生まれた子は奇形児としか映らなかった。


 本格ミステリの夢を実現させたことを喜ぶべきなのか、はたまた見果てぬ夢の正体は悪夢だったのか。本格ミステリ作家および読者の「悩み」はまだまだ続きそうだ。
 例によって悪趣味な小道具も全開。ミステリーランド最強の収穫だと思う。


 追記:オチを鑑みると、アレはまだ我々の手には余るものだと思う。

*1:といっても前世紀だけど。

*2:ロボット三原則とか西澤保彦の「装置」とか。

*3:私は読書に適性年齢などないと思っているけど、ここでは便宜的に商業上の分類で。

*4:全くの余談だが、『乱れからくり』の隕石を思い出した。

*5:物語序盤でこそ疑っていたとはいえ。