快盗ルビイ・マーチンスン/ヘンリイ・スレッサー
- 作者: ヘンリイ・スレッサー,村上啓夫
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 1978/01
- メディア: 文庫
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山本一力の解説を一読、疑問符の洪水に襲われる。え、これって解説? ただの自分語りじゃん。作品がどう面白いのかについて何も書いていない。早くも今年のワースト解説決定かと思った。
しかし、もう一度読みかえしてようやく理解に至る。通常の解説の体をとっていないだけで、ちゃんと作品の本質を突いている。
『快盗ルビイ・マーチンスン』は少年少女が読んでも楽しい。
これが言いたかったに違いない。
全作品に通底するテーマは「すれ違い」。ルビイと「ぼく」の共犯関係、ルビイとドロシイの恋愛関係、ルビイ&「ぼく」と被害者(になるはずだった人々)や警察との捕食関係。その全てがすれ違いを引き起こし、犯罪計画は頓挫する。
ルビイの犯罪計画が犯罪とすら見なされず、善意と見なされてしまった事件のなんと多いことか。
以前にクリストファー・プリースト『奇術師』の感想でコミュニケーションの不完全性について書いたが、この連作も同様。ルビイの悪意は周囲の人間の善意の中にあって無効化されてしまうのである。よってルビイの犯罪が頓挫するにつれて物語は寓話の様相すら呈す。
あと本作の主人公はルビイであるが、それ以上に印象的なのは語り手「ぼく」だ。ジーヴスに対するバーティー同様、「ぼく」の存在無くしてこの話は面白くない。ルビイが「怪」盗じゃなく、「快」盗に甘んじるのも、この迷共犯者あってこそだ。これぞ迷共犯者小説。
怪盗ニックシリーズのようなトリッキーさを求める向きの方には向かないかもしれないが、これはこれで充分にアリ。底抜けの「勧善勧悪」小説。「すれ違い」が生むスラップスティック・コメディーを楽しみたい人に薦める。