容疑者Xの献身/東野圭吾

容疑者Xの献身

容疑者Xの献身


 東野圭吾の作品群はデビュー時から一貫して「本音と建て前」というテーマが通底しており、対家族・恋人・友人・社会の自意識によってドラマをつくり上げる。登場人物たちは「強い視線」をあるときは送り、あるときは受けとる。


 その意味では本作は『悪意』と表裏一体作だと思った。健全な殺人動機⇔陰惨な悪意をテーマとした『悪意』に対して、『容疑者〜』は惨めな建て前⇔純愛である。
 どちらかというと、人間臭いドロドロした感情をマグマのように溜め込むことの多い東野の作品群にあっては、『容疑者〜』は珍しく潔癖なドラマをつくったともいえる。


 本音と建て前は、真実と嘘ほど可分なものではない。装いに本音が表れることもあれば*1、誤魔化された本音というものもある。少なくとも東野はそのボーダーの揺れを書いてきた作家だ。が、今回は狂った聖人を書いてしまい、そこに俗悪な本音は何もないと断じてしまった。


 というわけで、なんか引っかかるお話だった。これを抜け抜けと「純愛」と標榜してしまう作者にはなんか裏がありそうだなと思った。本格としては美しいけど、『悪意』を絶賛した身としては手放しで賞賛する気になれない。もっと俗っぽい人を書いてこその作者だと思うのだけれど。


 追記:ところで、(ネタバレ反転)事件発生直後に石神が駆けつけたのは、この時点ですでに盗聴していたからじゃないんじゃないの?(ここまで)という疑問に納得のいく説明がされていない。このことが(ネタバレ反転)石神の隠された変態性を示唆している(ここまで)ならば、傑作と言わざるを得まい。深読み?

*1:『秘密』の指輪とか。