ハルビン・カフェ/打海文三

ハルビン・カフェ (角川文庫)

ハルビン・カフェ (角川文庫)


 本作を評して「神話的な歴史小説」とは解説・大森望の弁だが、その通りだと思う。深淵であるのかそうでないのかすらも判別のつかない主人公の「神意」は、通常のハードボイルド以上に倒錯した酩酊をもたらす。「すでに過去のものとして語られる」「近未来の」「現実にはありえない都市」という三重の捻れも非常に効果的であり、物語世界は読者にとって完全に彼岸であるのにそうではないような感覚を残す。


 主人公は多くの化身を持ち*1、崇高さを感じさせながらも同時に快楽主義者であり、全ての物語の登場人物である。あえて世界の神話に当てはめるなら、ギリシャ神話のゼウスが近しいだろうか。
 全能を気取った好色なゼウスが未熟なテロリズムを破壊していくカタルシスが物語の力点だが、ともすれば不快なインテリ批判に陥りそうなところを魅力的な主人公の描写で救っている。この匙加減は絶妙である。


 理性と本能の同居こそが人間であり、どちらかが肥大化した人間は滅びの道を歩むという図式は常に見え隠れしており、このあたり読者を選びそうな気もするが、ここにはまれれば稀なる傑作。

*1:登場人物表を注視すると、主人公は別名義で2回も表記されている。