毒薬の小壜/シャーロット・アームストロング

毒薬の小壜 (ハヤカワ・ミステリ文庫 46-1)

毒薬の小壜 (ハヤカワ・ミステリ文庫 46-1)


 『深夜の散歩』に感化され手に取った。これはいい。大傑作だ。
  
 「分類するのが困難」(小笠原豊樹)、「滑稽スリラー」(福永武彦)などなどと評されるのも当然で、サスペンスとしては破格である。手に汗握る毒薬の追跡劇が主となるのかと思いきや、恐怖感や焦燥感とはほとんど無縁。小説前半部の鬱屈が嘘であるかのような、後半部の展開。まさかこんなお話になってしまうなんて予想できない。世間の常識(あるいは美徳と呼ばれるもの)がすべからく善良な主人公を痛めつけてしまうある種の逆説的状況と、それを打破せんと挑む村の人々。高踏的な議論に踏み込まず、井戸端会議のレベルで延々とこの攻めぎあいが続く。
 
 なぜか途中で脇役のラブロマンスが始まったり、バスの運転手が実はインテリだったり、ラストで明かされる毒薬の行方を鑑みるに、明らかに作者はサスペンスの緊密な空気は意図しておらず、バスの中で延々と繰り返される「善意の在り様」を主題としたディスカッション(とそこから導かれる喜劇)が小説の主であることは疑いようもない。いかにもクイーンが好みそうな主題*1がダイナミックに語られる。作家としての性質はポーストやA・H・Z・カーの系譜に連なるのかもしれない。ともかく、この小説を地味とか罵った人には猛省を促したい。
 
 また、強いてミステリー性を問うならばこの作品では善意/悪意の議論の向こうに、レトリックによる詐術の存在が指摘されており、これがコテンパンにのされていく様は痛快だ。ある意味、「操り」テーマの亜種として数え上げることもできよう。
 
 恋愛小説として、人間小説として、ドタバタ劇としての三位一体の展開・着地が非常に心地よい。伏線もばっちり決まってるし。人間の善意が全て物語のラストに向けて収束する小説が好きな人には声高々に推薦したい。
 ちなみに、タイトルおよび毒薬が持つ暗喩の解釈は訳者に完全に同意。

*1:短編「敵」で黄金の13にも入っているわけだし。余談だが、カソリックの規範を意識して離婚に踏みとどまれなかった主人公が選んだ最後の手段が自殺というところも面白い。