盲目の鴉/土屋隆夫


なんか土屋読んでたらノリノリになってきたので、このまま『ミレイの囚人』まで一気読みしようと思う。


異色作となったサスペンス調の前作から一転、再び本格ミステリらしい本格ミステリに帰ってきた土屋。遅筆なのも相俟って、発表は1980年。ちなみに長編デビューは1958年。32年で8作なので一作平均4年ペース。最近の土屋と比べれば、若い頃の方がむしろ筆が遅かったという驚愕の真実。もちろん、昔は短篇も書いていたということもあるのだろうが。


この作品でやりたかったのは、文学史とミステリの絡み。冒頭から田中英光とか大手拓次といった名前がでてくる。私は名前すら聞いたことなかったが、文学を学んでいる人には当然の知識なのだろう。
田中の生涯と事件の鍵となる被害者の性的コンプレックスが上手くシンクロしていて、単なる小道具以上の働きはしている。冒頭の幼児ポルノはエロすぎ。幼女の乳房を貪るなよ。さすが土屋。


最初の文芸評論家殺害事件は最後まで完全放置。第ニの劇作家毒殺事件を解決するのがメインとなる。周到な毒殺トリックを見破ったら、そのあとに控えるアリバイトリック。まるでカテナチオだ。「実際に自分が実験して、可能なトリックしか使わない」と豪語する土屋ならではの地味だが小味の効いたトリック2連発に本格ファンは歓喜する・・・ん、待て、この作品の発表した年代って島荘やら幻影城が台頭してくる頃だよな。少し地味すぎるかも。


惜しむらくは菜穂子の使い方か。ヒロインっぽいのに後半完全放置。しかし、こいつの存在が被害者像の反転という一種の心理的ミスディレクションに働いているのは心憎い。

以下ネタバレ反転。
ラストは千草の妄想で事件を補完する。犯人の吐露とかは一切ない。このあたりが土屋の本質だと思う。
女は不貞や姦通を墓場まで持っていく。男は真実を知らされぬが、疑いは悪腫瘍のように侵食していく。男と女の永遠の追いかけっこが繰り返し伴奏されるのだ。
「男」である千草は、掘り返さない方が良いだろう事実を、職業的使命感から追跡する。犯人は過去の事実を隠蔽するために奔走する。この作品ではトリックは見破られたものの、犯人は真実を隠蔽しきった。千種に残されたのはただ妄想することのみ。

余談だが、よく事件解決のヒントとなる千草の妻とのエピソードは平穏過ぎて逆に怖い。千草もまた、男という疑う生き物になる瞬間があるのだろうか。